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奈良の大仏はどのようにして造られたか

2019年03月01日[学長メッセージ]

~知恵を使って世のため人のために役立つことのできる人間に~

 

 奈良にある東大寺の大仏は、七四三年に聖武天皇の命により造り始められた。今からおよそ一二○○年以上前のことである。

 八世紀の前半は凶作、疫病などがあいつぎ、世の中はとても不安であった。聖武天皇は混乱した社会を仏の力で救ってもらおうと思い、青銅の大仏を造る決心をしたのである。しかしその大きさは、座っているとはいえ高さが約十六メートル、重さ約三百八十トン、人間になおせば六千三百人分の重さとなる。もちろん、当時としては世界一の大きさであった。こんな大きな仏像なので、開眼式を行ったのは七五二年の四月である。完成するまでに丸八年の年月がかかった。

 

 

 では、当時の人たちはこんな大きな大仏をどんな方法で造ったのだろうか。もちろん当時はクレーン車もなければ工作機械もない。こんなに大きな大仏を一度に鋳造するのは無理なので、全体を八段に分けた。そして、下から順番に八工程に分けて仕上げていったのである。

 まず基礎を固めた台座の上に粘土で原形の塑像を作る。次に出来上がった塑像の上に鋳造用の粘土を塗りつけて型をとっていく。この型を外子と呼んだ。そして外子が完全に乾いたら、それを一枚ずつ丁寧にはがしていく。この時、粘土で出来た外子を壊してしまったら、もう一度最初からやり直さなくてはいけない。この外子を外した後、今度はもとの原形の塑像を約五センチだけ削っていく。この五センチだけ削った塑像を中子にする。この中子とさっき外した外子とをもう一度合わせる。しかし、原形の塑像は五センチ削ってあるので、中子と外子はぴったり合わず、その間に五センチの隙間ができる。この隙間に銅を流し込んでいったのである。

 型をとり、塑像を削り、また型をはめ、その隙間に銅を流し込む、この作業を下から一段ずつ八回に分けて進めていった。一段終わると盛土をして足場を作る。

写真

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 この足場を土台にして二段目に取りかかる。二段目が完了すると、さらに盛土をして三段目に取りかかる。八段目の作業が終わったときには、大仏はすっぽりと土に覆われていたはずである。最後に大仏を埋めた土を上から順にくずし、一つずつ外子をはずしたら立派な大仏が出来上がっていた。七五三年四月、たくさんの僧侶が読経する中で大仏に眼が入れられ、日本が世界に誇る青銅の巨大な仏が完成した。

 

 

 方法を聞いてしまえば「そうか」と思うだけかも知れない。しかし、機械もクレーン車もなかった時代に、高さ十六メートルの大仏を造りなさいと命じられたとしたらどうだろう。私なら方法が思いつかずに、それこそ仏にすがってしまったかも知れない。昔の人の知恵を決して侮ることは出来ないのだ。この方法は、実は現代の機器製造技術にも活かされている。特に日本が世界に対し圧倒的に優位を誇る金型製作技術に引き継がれているのだ。知恵を使えば、それを人々の豊かな生活のために役立てることが出来る。是非、皆さんも知恵を使って世のため人のために役立つことの出来る人間になっていただきたい。

 

東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より