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命のビザ

2018年05月01日[学長メッセージ]

~六千人の命を救った日本人 杉原千畝~

 

皆さんの中には、スティーヴン·スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」を見て感動した人がいるだろう。シンドラーは、ポーランドでのナチスドイツのユダヤ人迫害から千二百人のユダヤ人を救出した人物として、その偉大な功績を世界中の人々から称えられている。しかし、岐阜県八百津町出身の杉原千畝が六千人のユダヤ人の命を救ったことは、意外に知られていない。当時、ナチスのユダヤ人迫害はすさまじく、単にユダヤ人であるというだけで捕らえられて強制収容所に送られ、そこで次々と虐殺されていったのである。その数はわかっているだけで六百万人以上と言われている。

 

 

杉原千畝はこの当時、リトアニアの総領事として任務についていた。昭和十五年七月二十七日の早朝、日本総領事館の前に何百人という群集が押し寄せていた。ナチスによる迫害でポーランドから逃れてきたユダヤ人たちであった。彼らがそのままリトアニアにとどまればナチスに捕らえられて強制収容所に送られ殺されてしまうことは明白であった。彼らが生き延びるためには、日本に渡ってそこからアメリカなどに逃げる以外に道がなかった。日本政府が「日本通過のためのビザ」を発給すれば彼らの命は助かる。そう考えた杉原千畝は日本政府にビザの発給を求めたが、日本政府は日独伊三国同盟の締結の大詰めにはいっていたこともあり、これを拒否した。杉原千畝は悩んだ末に、自分自身の身の危険を承知で自分の判断でビザを発給することを決めた。

 

 

その日以来、彼は一人でも多くのユダヤ人の命を助けるために、ひたすらビザを書きつづけた。リトアニアがソ連に併合されたため八月二十八日に撤退することになったが、それまでおよそ六千人のユダヤ人にビザを発給し続けた。杉原千畝に「命のビザ」をもらったユダヤ人たちは、福井県の敦賀港から日本に上陸し、そこから安全な国へと渡っていたのである。戦後、彼らは必死になって「命の恩人」である杉原千畝を探した。そして、やっと再会できたとき、彼らの中の一人が杉原千畝に「なぜあなたは自らの危険を顧みず、私たちのためにあのようなことをしてくれたのですか」とたずねた。杉原千畝はこれに対し、「私の目の前にたくさんの気の毒な人たちがいた。そして、私にはその人たちを助けることが出来た。だからしたまでのことです」と答えたという。

 

 

私たちは、郷土の偉人杉原千畝から多くのことを学ぶことが出来る。彼の偉大な功績を称え「人道の丘公園」が八百津町につくられているので、まだ訪れたことのない人は是非行っていただきたい。それと同時に、映画「シンドラーのリスト」をご覧になったり、フランクルの「夜と霧」や「アンネの日記」を読まれ、何の罪もないユダヤ人たちがいかに残虐な方法でナチスドイツに殺されていったのかを知っていただきたい。こうした史実をしっかりと理解している人たちの手で、世界の平和は守られていくのではないだろうか。最後に、杉原千畝の偉大な活躍の背景には、彼が中学時代に英語を大得意としていたという事実があったことを付記しておきたい。

 

 

東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より