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なせば成る、なさねば成らぬ、なにごとも~上杉鷹山~

2017年05月15日[学長メッセージ]

 ~偉業を成し遂げるには学問を身に付けることが大切~

 

「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

これは、江戸時代の米沢藩主上杉鷹山の言葉である。「どんなことでもやろうと思って努力すれば、必ず実現できる。逆に、無理だと思ってあきらめ努力をしなければ、絶対に実現できない」という意味である。

 

 

上杉家の始祖である上杉謙信のころには三百万石ほどあった知行が、二代目景勝の時に豊臣秀吉の命令で百二十万石に減らされた。その後、関ケ原の戦いで石田三成についたことが原因で徳川家康によって三十万石に減らされた。さらに、世継ぎ問題で最終的に十五万石まで減らされてしまった。しかし、家臣の数は謙信のころの六千名をそのまま抱えていたのである。たとえて言えば、お父さんの月給が三十万円から一万五千円に減ってしまったにもかかわらず、元どおりの六人家族を養っていかなければならないという事態が発生したのである。皆さんでれば、こんな事態に直面したらいったいどうするだろうか。「生活できっこない」と言ってあきらめてしまうのだろうか。

 

 

幕府によって知行が二十分の一に減らされてしまったちょうどその時に、上杉鷹山は十五歳で米沢の藩主となった。すでにそのころ、米沢藩の財政は多額の借金でどうにもならない状態であった。しかし、鷹山は決してあきらめることなく、藩主自ら荒れ地にクワを下ろして新田開発を進め、漆の実を植えて十年先の産業振興をはかった。

 

 

また、田にはコイを飼うようにすすめて緊急の場合の食料源とした。さらに、荒れ地に桑を植えさせ養蚕業を盛んにしたが、それが後に米沢織として大きな収入源となっていった。若き身でありながら、多いに知恵を使ったわけである。

 

 

一七八三年に歴史的にもまれに見る天明の大飢饉が発生し、東北地方を中心にものすごい数の餓死者が出た。その年の夏は異常低温で、稲の穂はまったく出ず、大豆や稗などの補助食料も全滅してしまった。農耕に欠くことのできない牛や馬も食用にされ、とうとう食べるものがなくなって、犬一匹五百文、猫一匹三百文で取り引きされるような事態となった。ところが、この時上杉鷹山が治める米沢藩では、飢饉に備え米を備蓄していたこともあり、一人も餓死者を出さなかったのである。

 

 

「受次て 国のつかさの 身となれば 忘るまじきは 民の父母」

これは鷹山が藩主となった時の覚悟を歌ったものであるが、「藩主となって国を治める身となったからには、父母のように民の幸福を願い、それを実現しなくてはいけない」という意味の歌である。誰もが不可能と思えるような困難に直面しながらも、決してあきらめることなく、「なせば成る」という信念で様々な改革を断行し、大飢饉の際にも一人の民衆も餓死させなかった上杉鷹山。私たちはこの鷹山から多くのことを学ぶことができる。かつて、アメリカのケネディ大統領が日本の記者に、「あなたが最も尊敬する日本人は誰ですか」と質問された時、ケネディは迷わず「上杉鷹山である」と答えたという。

 

 

たった十五歳で藩主となった上杉鷹山が、民衆を深く慈しみ、民衆のために素晴らしい改革を成功させ得たのは、幼いころから尾張出身の学者細井平州を師と仰ぎ、一生懸命学問の道に励んだからだと言われている。人として正しい道を歩み、世のため人のために偉業を成し遂げるためには、学問をしっかりと身につけておくことがとても大切なことなのだ。もしあなたが、「私は生まれつき頭が悪いから」とか、「部活が忙しくて時間がないから」とかと、様々な「出来ない理由」を探して勉強を怠っているとしたら・・・。今成績が良くないのは、あなた自身に責任がある。決して、両親や環境の責任ではない。上杉鷹山の言うとおり「やれば出来る」のだ。知恵を磨き世のため人のために貢献できる自分をつくりあげるために、若いうちにうんと勉強に励んでおいてほしい。

 

 

東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より