MEMOIRS東進見聞録

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どうしたら子供たちは深い思考が出来るようになるか

2020年10月01日[学長メッセージ]

 新聞報道によれば、私の塾の近くの中学校で集団暴行事件が発生し、被害者の中学三年生は全治一ヶ月の重傷を負った。相手の少年グループは、中学一年の時にバスケットの部活で肩にぶつかったというささいな理由で因縁をつけて暴行に及んだという。この事件が明るみに出てテレビの取材班が来た時、加害少年の中にはカメラの前でVサインをするものもいたそうだ。まるでスターきどりだ。ことの善悪を考える思考力が欠如している。なぜだろう。極めて単純化して言えば、普段から思考していないからだ。考える力がないのは、日常的に考える訓練をしていないからということに尽きる。

 

 

 なぜ最近の子供たちはものごとを深く考える習慣をなくしてしまったのだろう。原因の一つとして思い当たるのはテレビゲームである。テレビゲームの多くはその攻略法を考えながら次のステージへと移っていくように設計されているが、しょせんはゲームであって深い思考を必要とはしていない。あまり難しいゲームにすると売れないという理由もある。従って、子供たちが一日の大半をゲームに費やせば費やすほど、子供たちは浅い表層的な思考にとどまったままとなる。漫画も同様で、絵を通じてストーリーを追っていくから、思考力の訓練には役立たない。最近、子供たちが最も多くの時間を費やしているのは携帯メールである。親指を見事に動かしてメールを打つ。しかし、その内容はたわいもない日常会話ばかりである。メールで交換される情報から、深い思考が育つとはとても思えない

 

 

 この反対に、読書は子供たちの深い思考や感性を育てる。文字を通して多様な場面や世界を想像し、人の心の機微や人間として生きることの価値を考えさせられる。本当に良い本は、子供たちの心にコツンと種のようなものを残す。やがてそれが子供たちの心の中で成長し、豊かな人間性という花を咲かせる。しかし、今の子供たちは本を読まない。かったるくて読めないという。山頂に通じるゴンドラが出来たら、誰も山道を歩いて登ろうとしないことと一緒かもしれない。私の塾では、小学生は国語の時間に十五分間好きな本を読むことにしている。月謝を払って塾に行って、たとえ十五分といえども本を読んでいるのでは意味がないという声もある。はたしてそうであろうか。確かに漢字を練習したり、文章読解の設問に答えたりすることも国語の力をつける。しかし、読書は子供たちにすばらしい世界が存在することを教え、人として生きることの価値に目覚めさせていく。表面的ではない深い思考に子供たちを導いていく。ある中学校では、毎日十五分間の読書運動を始めてから、生徒たちの問題行動がまったくなくなったそうである。是非、この地域の小学校や中学校でもとり入れられたらいかがであろうか。

 

東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より