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四十年かかってやっとかなった日本国民の悲願~岩倉欧米使節団~

2017年07月15日[学長メッセージ]

~粘り強い努力なしには、目標は達成できない~

 

一八七一年、一隻の蒸気船が横浜港からアメリカに向けて出港した。乗っていたのは、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允らの欧米使節団の一行。彼らは、明治新政府から重大な使命を託されていた。それは、一八五八年に結んだ日米修好通商条約の不平等な内容を、欧米列強と交渉して改正するという使命であった。この日米修好通商条約は、治外法権を認め、日本に関税自主権がないという極めて不平等な条約であった。しかし、アメリカに到着してみると、岩倉らの使節団一行はまったく相手にされなかった。日本は近代化の遅れた幼稚な国であって、欧米諸国と対等の条約を結ぼうなどと考えるのはとんでもないことであると言われたのだ。使節団長の岩倉具視はまだちょんまげを結い着物を着て、こっけいなことに足だけ革靴をはいていた。この岩倉の姿はアメリカの新聞にとりあげられ、後進国日本の象徴として嘲笑された。

 

 

深い失意を抱いて帰国した岩倉らは、さっそく日本の近代化にとりかかり始めた。そのため明治政府は、やつぎばやに奇妙な欧化政策を国民に突きつけていった。その中に「ちょんまげ禁止令」というものがあった。福井県ではこれに反対する農民一揆が起き、八千人が逮捕され六人の首謀者が死刑になった。こんな中で一八八六年、日本国民にとって屈辱的な事件が起きた。イギリスのノルマントン号が紀伊半島沖で沈没、イギリス人乗組員二十六名は全員ボートで脱出して助かったのに、日本人乗客二十三名は全員おぼれて死んでしまった。日本は治外法権を認めていたために、この船長を日本の裁判にかけることが出来なかった。その結果、この船長はイギリス領事館で軽い罰金刑に問われただけで、さっさとイギリスに帰ってしまった。この事件は不平等条約の真実の姿を知らしめると同時に、国民に悔しさと怒りの感情を燃え立たせた。

 

 

日本は、一八八九年に苦労のすえ大日本帝国憲法を制定し、アジアでいち早く立憲国家としての道を歩み出した。こうした近代化への努力がしだいに認められ、ついに一八九四年外務大臣の陸奥宗光がイギリスとの間で治外法権の撤廃に成功した。日本はこの後日清·日露戦争に突入、多くの犠牲を出しながら何とか勝利することが出来た。欧米列強も日本の国力を無視できなくなり、ついに一九一一年外務大臣の小村寿太郎がアメリカとの間で関税自主権の回復に成功、他の欧米諸国もこれにならった。一八五八年に日米修好通商条約を結び、その不平等な内容の改正に成功するまでなんと四十年もかかったわけである。

 

 

「他の国と対等につきあう」、これは今では当たり前のことであるが、この当たり前のことを実現するために、先人たちの血のにじむような努力や多くの国民の犠牲があったのだ。生徒の皆さんは、志望校に合格したい、学力をもっと上げたいという目標を持っている。しかし、歴史を見ても分かるように、粘り強い努力なしには目標は達成できない。「すべて偉大なことは、血のにじむような努力を積み重ねてのみ達成される」ということを肝に銘じ、自分が持って生まれた素晴らしい可能性を信じて、それを自分自身の努力でおおいに開花させてほしい。

 

 

東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より