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「勝って兜の緒を締めよ」誰が言った?

名言「勝って兜の緒を締めよ」の読み方

「勝って兜の緒を締めよ」の読み方は「かってかぶとのおをしめよ」になります。

「勝って兜の緒を締めよ」の意味

「兜」とは、頭にかぶる防護用武具で、「緒」とは、あごのところで結ぶひものことです。

つまり、この言葉の意味は、

「勝った時に油断をして、兜を頭から外してしまうと、どこかからの反撃を受けて負けてしまうかもしれない。勝った時でも兜を脱がずに、むしろ兜の緒をしっかりと締めて用心しよう。」

ということになり、

「物事が順調に進んでいる時こそ、気を引き締めるべきだ。」

という教訓になります。

「勝って兜の緒を締めよ」の由来

この「勝って兜の緒を締めよ」の由来は、戦国時代に北条氏綱(ほうじょう うじつな)が、息子の北条氏康(うじやす)に書いた遺言『五か条の訓戒(ごかじょうのくんかい)』にあります。

5つある教訓の中のひとつに、以下のようなものがあります。ほぼ原文です。

「一、手際なる合戦にて夥敷勝利を得て後、驕の心出来し、敵を侮り、或は不行義なる事、必ある事也。可慎。散々如斯候而、滅亡の家、古より多し。此心、万事にわたるそ。勝て甲の緒をしめよ、といふ事忘れ給ふへからす。」

 夥敷……おびただしく

 驕……おごり

 不行義……ふぎょうぎ

 可慎……つつしむべし

 散々如斯候而……さんざんかくのごとくそうらひて

意味がとりづらいので、現代文に直します。

「一、合戦で見事な勝利を得た後、油断が生まれる。敵を侮り、行儀が悪くなることは、必ずあること。これは慎むべき。散々こうして、滅亡する家は、昔から多い。この油断する心は何事にもあてはまる。勝って兜の緒を締めよ、ということを忘れてはならない。」

内容が伝わりやすい文章ですね。

北条氏綱について

北条氏は、戦国時代において、小田原城を拠点に、関東地方を支配した戦国大名で、その歴代当主5人を北条五代と呼びます。

初代:伊勢宗瑞(いせ そうずい)、後の北条早雲(そううん)
2代目:北条氏綱
3代目:北条氏康
4代目:北条氏政(うじまさ)
5代目:北条氏直(うじなお)

その中で、2代目の北条氏綱は、伊豆・相模を平定した伊勢宗瑞 (北条早雲)の跡を継ぎ、自国の領土をさらに武蔵(東京都・埼玉県)、下総(千葉県の一部)、駿河まで拡大させました。北条氏の土台を整えた人物です。家督相続当初の姓は伊勢でしたが、父・宗瑞の死後に北条氏を名乗ります。

『五か条の訓戒』について

「五か条の訓戒」についても補足しておきます。

北条氏綱が病にかかり、息子の氏康に家督(かとく・家の代表者)を継がせるときに、伝えたものです。

全文は長くなりますので、要約します。

一、義を大事にすること。
一、武士か農民かを問わず、すべてを慈しむこと。
一、驕らずへつらわず、その身の分限を守ること。
一、倹約(無駄を省き節約すること)に勤めること。
一、勝って兜の緒を締めよ。

北条氏康は、この訓戒をそのままに国をおさめました。

「国や民民を豊かにする」「敵から民を守る」「天災の被害からも民を守る」

法律や裁判制度を作ったり、税の負担を軽くしたりと、さまざまな政策を行い、民にとって良い政治を行いました。

また、山内上杉氏・扇谷上杉氏の両上杉氏を関東から追い出し、北条氏の勢力を上野(群馬県)にまで広げました。

北条氏綱が残した言葉が、息子、氏康の治世をより良いものにしました。

もちろん、遺言を実行できた北条氏康もすごいのですが。

北条氏綱の名言「勝って兜の緒を締めよ」まとめ

名言「勝って兜の緒を締めよ」の由来についておわかりいただけたでしょうか。

この言葉の通り、なにごとも、順調な時こそ油断しないで行えるとよいですね。

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