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コラム

エルトゥールル号遭難事件とトルコ航空日本人救出

日本とトルコの貴重な友好関係

皆さんはトルコという国をよくご存知だと思う。トルコの人々はみな親日家で、日本人だと分かると「こんにちは」と向こうから挨拶してきて、とても親切に対応してくれる。いわゆる「日本ファン」が圧倒的に多い国の一つだ。それには126年前に起きたある海難事件が深く関係している。

1890年の9月16日の夜、トルコ(当時はオスマン帝国)の軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本沖で台風に遭い遭難した。船には600名以上の乗組員がいたが、沈没した船から荒れ狂う海に投げ出され500名以上が命を落とした。そのうち69名が岸にたどり着いた。串本の住民たちは総出で救助にあたり、命がけで助け上げ手厚く介抱した。村の食料の蓄えがごくわずかだったにも関わらず、衣服、卵、さつまいも、それに非常用のニワトリなどを供出して生存者の救援に全力であたった。そして健康を回復した69名のトルコ人は無事帰国することが出来た。この日本人によるトルコ国民救出のいきさつはトルコの小学校の教科書にも載っており、多くの人が知っている。

それから85年後の1985年、イラク・イラン戦争のさなかに、イラクのサダム・フセイン大統領はイラン上空を通過する航空機に対して無差別の攻撃を行うと宣言した。イランには国外脱出を切望する215名の日本人がいた。そのままイラン国内にとどまれば戦争に巻き込まれて命を落とす危険があった。本来なら自衛隊機で救出すべきであったが、自衛隊の海外派遣は法律で禁止されており、日本人が救出を強く願っていたにも関わらず、助けに行けなかった。また日本航空も危険が大きすぎるという理由で飛行機をイランに差し向けることを断った。困った日本政府はトルコのビルレル大使に窮状を訴えたところ、大使は「トルコ人なら誰もがエルトゥールル号の遭難の際に日本の人々に受けた恩義を知っています。直ちに救援機を派遣しましょう」と言ってくれた。ビルレル大使の要請を受けたトルコ航空はすぐにイランへと向かい、215名の日本人を救出してトルコへと引き返した。後にこの日本人全員はトルコ経由で無事に日本に帰国できた。因みにこの時、文字通り命がけで救出にあたったトルコ航空の機長は、エルトゥールル号遭難の際に助けられた人の子孫であったという。

今、隣の大国中国は南シナ海のほぼ全域を自国の領海だと主張し、サンゴ礁を埋め立てて、港や滑走路を建設しミサイルまで持ち込んでいる。国際仲裁裁判所で国際法上違法であると判決を受けたにも関わらず、その主張を引っ込める気は全く無い。また日本の領土である尖閣諸島の近くに多数の船を差し向けこれを奪い取ろうとしている。それを思うと、この日本とトルコの友好関係はどれほど貴重なことかよく分かる。

岐阜県、可児、西可児、多治見、多治見北、美濃加茂、土岐、瑞浪、関、各務原の学習塾
東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より

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