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共通テスト現代文の問題は賞をとった物語?

関市にある学習塾、東進ゼミナール関校高校部(東進衛星予備校 関西木戸校)です。

共通テストの現代文、本をよく読んでいる人は見知った名前が出てくるので「お、知ってる人の文章だラッキー!」と思う人もいるかもです。でも大抵は知らない人が多いのではないかと思います。

2014年から2024年までの現代文(小説)の問題で取り扱われた作者は、本試験、追試験あわせて24名。

その中で一番多いのは「野間文芸賞」という講談社の主催する文学賞の受賞者です。その数なんと6名。野間文芸賞をチェックしておけばもしかして来年の共通テストに出てくれるかも?

芥川賞と直木賞の受賞作家は各2名ずつ。共通テストに出題された問題の著者が24名いることを考えると、ひかえめという印象です。

メジャーな作家は皆読んでいるから、という理由で外されているんでしょうか?(の割に、川端康成、室生犀星、太宰治という読んだことは無くても一度は目にしたことのある名前の小説家の文章も出題されたりします。ただしこれらは全て「追試験」ですが)

芥川賞と直木賞はあまりにも有名な賞なので今更言及しなくても良いと思いますが、文藝春秋社が主催する年に2回の文芸賞です。文藝春秋を興したのは「菊池寛」という「真珠婦人」や「父帰る」などが有名な小説家(でもあり実業家)で、彼の友人が芥川と直木でした。芥川龍之介賞は「純文学」、直木三十五賞は「大衆文学」を志す若き才能に与えよう、と位置付けられています。

余りにも日常に溶け込み過ぎて今更ですが、「なおきさんじゅうごって誰やねん」と思いませんか。三十五はそのまま「さんじゅうご」と読みます。直木は変わった人で、31歳のときに直木三十一、32歳のときに直木三十二、というように名乗っていた人で三十五で打ち止めになっています。(本人は43歳まで生きましたが三十五のままです)

「南国太平記」で売れっ子作家になりました。しかし病に倒れ、病床でも書き続けていましたが志半ばでお亡くなりになりました。

彼は文芸春秋で文豪のスキャンダルも書いていて、今でいうところの「文春砲」の先駆けのような男でした。筆がものすごく早かったそうで寝そべりながら筆を走らせ、実生活では売れない映画を作って借金まみれ、当時の文客にありがちな愛人やらなにやらで基本的に極貧生活だった模様です。直木三十五の小説を読んだことがある人はきっと芥川龍之介の小説を読んだことがある人よりも少ないでしょう。それが今では「直木賞」と呼ばれる文壇の権威になっているところが、個人的には面白く感じます。

極貧生活の直木を事あるごとに心配したのは菊池寛でした。直木は友人に金を借りず高利貸しに借りる、と礼節は弁える男だったので、友人である菊池にも「金を貸してくれ」とは言いません。けれど菊池は金に困っているであろう直木が会いに来ると、「今日は寒いだろう」とマントやなんかをひょいと渡すんです。ありがとうとそれを着て帰った直木がふと寒空の下ポケットに手を突っ込むと十円札(当時の約2万円)が大量にぐしゃぐしゃと突っ込まれていたそうです。菊池はそういう粋な男でした。

その菊池は直木が死んだときに「直木賞」を創設します。それなら一緒に親しかった友人の「芥川」も一緒に。と、直木賞と芥川賞が創設されることになりました。菊池の亡友を偲ぶ気持ちから始まっています。今では権威ある賞ですが、ただ友人の名前を残して、文春の社長としては紙面のにぎやかしに、と思っていたこれらの賞が89年経った今日まで残っている事実は小説よりも奇なり。と思わないこともありません。

賞のきっかけを知ってしまえば、賞と名の付くものが今のような権威をもつ以前の、きわめて個人的な感傷からきているものもあるのだと分かります。共通テストに出題される現代文は多種多様です。賞に縛られない出題はきっと製作者が多種多様な文献を読み込んでいるからでしょう。現代文を「解く」ということはもしかしたら書いた当人の意志とは違う可能性もありますが、文章を読む力は社会に出てからも大きな力になってくれます。

いろんな小説、雑文、漫画でも構わないので読んでみて、読む力を身に付けていってください。文章は面白いと思えるようになったらこっちのものです。

東進は10月から新年度生を募集しています。

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