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なぜノーベルはノーベル賞を設けたか~アルフレッド·ノーベル~

<人間にとっての最大の満足感は、どれだけ世のために役立てたかにある>

ノーベル賞と言えば、世界で最高の名誉ある賞である。

二〇〇二年、二人の日本人がノーベル賞の栄誉に輝いた。小柴昌俊東大教授がノーベル物理学賞を、島津製作所の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞した。ノーベル賞の場合、ひとつの賞に対し約一億二千万円の賞金と金メダルが授けられる。今回は物理学賞も化学賞も複数の受賞者がしたので、賞金は分けて授与されることとなった。ノーベル賞には、物理学賞、化学賞、生理学·医学賞、文学賞、平和賞、一九六八年に新設された経済学賞*の六つがある。従って、毎年総額で七億二千万円のお金が受賞者たちに贈られることになる。

この巨額なお金はいったいどこから出ているのであろうか。実は、スウェーデンの出身であるアルフレッド·ノーベルが遺言で残したお金の利子でノーベル賞は運営されているのだ。アルフレッド·ノーベルは一八三三年にスウェーデンのストックホルムで生まれた。父親が発明家だったこともあり、小さい頃から科学や機械、発明に興味を持っていた。二十九歳の頃、父親の案を受けて、ニトログリセリンと黒色火薬を混ぜ合わせた爆薬の研究を始めた。黒色火薬は昔から使われている火薬で、今でも線香花火などに使われている。取り扱いは簡単であるが爆発力が弱いという欠点があった。ニトログリセリンは心臓発作の治療薬として用いられる物質であるが、振動を加えたり圧力をかけたりすると強烈な爆発を起こすこともある物質である。馬車で運んでいる途中、でこぼこ道で揺れてニトログリセリンを入れた樽が大爆発し、何十人という死者が出たこともあった。ノーベルはこのニトログリセリンを用いた油状爆薬を作り特許も取った。しかし、ニトログリセリンは非常に不安定な物質であるため、ノーベルの爆薬製造工場が爆発で吹っ飛び、弟のエミールを含む五人の死者を出してしまった。その後も各地で爆発が起こり、たくさんの犠牲者が出た。道路やトンネル工事を効率的に進めるためには、当時から強力な爆薬は必要とされていた。ノーベルはもっと安全な爆薬を作ることが出来ないかと考え、日夜研究に没頭した。そして、とうとうある時、ニトログリセリンを珪藻土に含ませて爆薬を作ると、振動や圧力が加わってもたやすく爆発することのない安全な爆薬を完成したのである。これがダイナマイトである。一八六七年、ノーベルが三十四歳の時のことであった。

このダイナマイトは、人の手ではなかなか掘り崩すことが困難な岩山に穴を開けてトンネルを掘る工事などに用いられ、素晴らしい効果を発揮した。ノーベルの発明したダイナマイトは売れに売れ、たちまち彼は大金持ちになっていった。しかし、一八七○年に普仏戦争がはじまり、プロシア軍はダイナマイトを爆弾として使用し始めた。他の国も戦争に勝つためにプロシアにならった。このため、ノーベルの工場のダイナマイトはますます売れて、彼は世界有数の億万長者となっていったのである。しかし、その一方で戦場でダイナマイトによって命を奪われていく人たちもうなぎのぼりに増えていった。ノーベルは科学者として、自分の発明が世界の平和と人類の幸福に役立つことを望んでいたが、結果は彼の望んでいたこととは逆になってしまった。一八六八年、ノーベルは孤独と病魔の苦しみの中、六十三歳で亡くなった。彼は遺言状で次のように書いた。「私の全資産を基金に当て、その利子を賞として、毎年、その前年に人類に最大の寄与をしたものに授与する。この利子は五等分し、物理学、化学、生理学または医学の各分野で最も重要な発見をした者、文学で最も優れた作品を書いた者、世界の平和のために最善をつくした者に与える」。彼の残した資産は当時のお金で約九百万ドルあった。その利子だけで経済学賞を除き毎年六億の賞金を出せるのだから、いかに巨額な財産であったかが分かるだろう。

彼は自分の発明したダイナマイトが、多くの人命を奪う結果となってしまったことを深く反省していた。だからこそ、自分が築き上げた財産を人類の幸福と平和に大きく寄与した人に分け与えたいと思ったに違いない。結局、人間にとっての最大の満足感は、あり余るお金を獲得したり高い地位や名誉を得ることにあるのではなく、自分がどれだけ世のため人のために役立てたかということの中にあるのではないだろうか。

※経済学賞は、一九六八年にスウェーデン国立銀行の寄付により新たに設けられた賞である

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東進ゼミナール 学長 飯田陸三著 「何のために学ぶか」より

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